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じぶん以外のために祈る
見立ての登山 Gunung Rinjani 

 
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ごあいさつとお誘い

みなさま初めまして。Wati Yuki と申します。

普段はアロマテラピストとして日々を過ごしております。

子供の頃にスピリチュアルな世界の扉を開けてしまって以来38年間、ずっと自分の有るべき場所、なすべきことを求めて、日常の中で頂くインスピレーションやサインを元に、「手探り且つ体を張りながら進む」というのが私のライフワークとなりました。

もちろん日本人でして日本の名前はございますが、10年前にあるご縁でバリ人の主人と出会い、9年前に結婚したことにより、「生まれ変わった証」として、カーストの着いたあちらスタイルのバリの名をいただくことになりました。

そこで、私のライフワークには、開運を祈願して、彼地の家族たちが呼んでくださる時の呼び名であるWati とYukiを合わせて使わせて頂くことにとにいたしました。

(Watiは年配の方々が、Yukiは若い方々がそれぞれ使ってくださいます。)

さて、こんな一面をもつ私でございますが・・・。



この度、2010年6月16日〜3泊4日をかけて、インドネシアのロンボク島にあります霊峰、グヌン・リンジャニ(3726m)に登るチャンスをいただきました。

10年前。この山に登れとサインを頂いたものの、実際には全く登らせて頂くことができずにおりました。

10年という長い年月の間にさまざまな変化と問題が家庭や仕事場で起こり、力不足の故に生きながらにして死んだような状況に見舞われておりました。

今までのライフワークの延長線なんだから、必ず多くの気づきと変容を促してくれる試練であると受け止め、足掻いておりましたところ、昨年やっとその悪列な状況から抜け出せる!!と実感できる「微かな兆し」が見えて参りまして、その証のように「もう一生涯、叶わないのだろう」とすっかり諦めていたリンジャニ登山のチャンスもやって参りました。

思えばこの10年は、リンジャニに登るため「新たな絆とより深く信じる力」を強めることが要求されており、それと同時に私の家族にも準備することを促していたのだと思います。そして全てがゆっくり整いだし、期は熟したのだと感謝しております。



当初は、やっと登れることに浮かれていたのですが、すぐに「ただ登って帰ってくるだけでは駄目?」な気がして、思いを巡らせたところ、自分が感じることの出来た「ちいさなひかり」をもっと広げることは出来ないか?と考えている自分がいて「祈りを届ける」ということばが浮かんで参りました。

そこで思いついたのが、今回の「見立ての登山」という試みでございます。

ここで広くお声がけして、みなさまの「祈り」を布にしたためて頂き、集まった祈りは「えにし」に見立てた丹色の糸で一枚一枚縫い合わせて一枚の大きな布に仕上げ、これを「絆」に見立てます。

登山開始から下山終了まで常に身にまとい続けることで、私の体を媒体とし、時空間をリンクさせてみなさまご自身がリンジャニを登り、ご自身で山頂にて祈りを捧げるという「見立ての登山」であります。

ただ「祈りの布」を預かって、恭しく山頂にお届けするというものではありません。

登山決行中、みなさまには日本に在りながら、一歩一歩「霊峰リンジャニ」を登るご自身を想像しながら、ご自身の祈りが届くように強く念じていただくことが必要不可欠なのです。



祈りについても考えてみましたところ、自分のためのものでなく「じぶん以外のために祈る」という言葉が浮かんで参りました。

なぜ「じぶん以外のために」なのかと考えてみましたところ、敢えてじぶん以外のために祈るとことで、自らの心の中に「ゆとり」を取り戻すためではないかと思いました。

なぜなら、じぶん以外のものに意識をむけるには、心に「ゆとり」がないとできないからです。

そしてその少しのゆとりが、本来の素直な心、純粋な魂に、知らず知らずのうちに「自らに強いていた枷」を緩める「鍵」になるのかも知れないと思いました。

じぶんのために祈ることはもちろん良いことですが、気づかないうちに「貧すれば鈍す」に陥ってしまうことがございます。

「自分だけのため」にとか「自分さえよければ」に変わってしまった思いが巧くいかない原因すなわち「自らに強いていた枷」というわけです。

心にゆとりのある時は、なんの躊躇いもなく、サラッと他人に親切にしている自分を見たことはありませんか?

逆に、思わぬ優しい言葉をかけられたり、気遣いを受けたことで、なにかから解放されたように、楽にしてもらったことがあったのではありませんか?

その後なんだか自分もまわりに優しくしてあげたくなったりしませんか?



じぶん以外のために祈りを捧げることが、巡り巡って自分のために祈ってくれるという不思議な「えにし」の「絆」を紡ぎだしてくれるように感じます。

「じぶん以外のために祈る」とは「自らのために祈る」のと同義語なのだと思います。

というわけで、ここまで読んでくださったみなさまには既に丹色の「えにし」の糸が結ばれているのではないかと期待してしまいます。(^^)

じぶん以外のために捧げられる祈りであれば、対象は特に限定はいたしません。

ご家族、恋人、交友関係のある身近な方のための「幸せ」を祈るのはもちろん、まだ見ぬ運命の相手や赤ちゃんが無事にたどり着けるように「交通安全?」のためでも構いません。

すでに他界された方への「鎮魂」の祈りでも結構です。

誤解やけんか別れで疎遠になってしまったけれど、今もずっと気になるという方、「謝ってその方の今後の幸せ」を祈って差し上げるというのはどうでしょう。

人ばかりでなく、動物や植物、地球や宇宙のための祈りでも構いません。

大切な人や大事なことのために成功や無事を祈りたい、守りたい気持ちは古今東西、国や宗教が違っても変わることのない人間の心の根底にある素直な気持ち、本能だと思います。



霊峰リンジャニは、国籍や宗教に関わらずその霊力を発揮してくれると言います。その霊力にあやかって、心の根底、「魂の祈り」としてみなさまの祈りを集めさせていただきますので、ご賛同いただけるのであれば、国籍宗教を問わず広くお受けさせていただきます。

ちなみに、私の祈りは

「参加してくださったみなさまの祈りが、夫々の先さまにしっかり届きますように」

です。

「念ずれば通ず」と昔の人は言いました。

みなさまの心に少しの「ゆとり」が生まれるお手伝いになれば幸いです。
 

                                   Dari  Wati Yuki






急のお願いに快くお力を貸してくださった、古すぎる丹色の絆の八木優美子さん、
新しい丹色のえにしで巡りあえた Tamaki さん、

心より感謝をこめて・・・・ 彌榮。


Rinjani Project 2010  by Wati Yuki